右大臣藤原 師輔
平安時代に右大臣藤原 師輔(ふじわら の もろすけ)という人がいました。
この人が自分の子孫に宛てた遺訓書『九条殿遺誡』に、幸せに暮らしていく心得が書いてあります。
右大臣といえば最高権力者の一人ですが、その藤原師輔がどんなことを実践していたのか。
ちょっと気になりますね。
これがおもしろいのです。
簡単に言うと、こんな感じです。
自分の顔を鏡にうつして視なさい。
暦で自分の吉兆を調べなさい。
歯を磨きなさい。
西に向かって手を洗いなさい。
自分の守護である仏様の名前を唱えなさい。
崇敬する神社を思い浮かべて祈りなさい。
昨日のことを日記に書きなさい。
お粥を食べなさい。
頭を梳かし手足の爪を切りなさい。
沐浴は五日に一回。
出仕の時(宮中に参内)の際には、
人に余計なことを言わない。
人の悪口や噂話をしない。
公事についての文書は、真心と情けの気持ちを持って見ること。
朝と夕の二回食事をとり、暴飲暴食しないこと。
九条殿遺誡は陰陽道の影響を受けた知恵
藤原師輔の頃は陰陽道が宮中で取り入れられていましたから、自分の属星というものを暦で知り、それを唱えて福運を授かろうとしていたんですね。
実はこれはものすごく大事なことで、だから朝起きたらまず一番にするんですね。
この属星というのは陰陽道で決められていて、北斗七星の信仰からきています。
小さな声で唱えなさい。
貪狼どんろう・・ねずみ年の人
巨門きょもん・・うし、いのしし年の人
祿存ろくぞん・・とら、いぬ年の人
文曲ぶんきょく・・うさぎ、とり年の人
廉貞れんてい・・たつ、さる年の人
武曲ぶきょく・・へび、ひつじ年の人
破軍はぐん・・うま年の人
そしてこの属星を唱えて信仰すると、願いが全部叶い災厄から免れると言われていました。
今そんなことを言ったらそんなの迷信だろうで終わられてしまいそうですが、当時はこれが本当に信じられていたのです。
それから自分の顔を鏡にうつせというのは、これは身なりを整えろというのと健康チェックかな。
そしてその日の自分の吉兆を調べなさいというのは、実は平安貴族は縁起をかつぎますし陰陽道に沿った生活をしていたことをよく表しています。
家からでてはいけない日というのがあるんです。
物忌の日ですね。
家で静かに過ごしていたみたいですね。
現代に生きている我々には、通用しないですけれども。
歯を磨け、西に向かって手を洗いなさい、これはドリフターズですね。
かとチャンと言っていることが同じです。
そして神仏に手を合わせ、祈るというのはみんな昔は普通にやっていたのですね。
これは見習わないといけないですね。
あと日記を書くこと。
これは平安貴族のたしなみですよね。
宮中では人の悪口や噂話をしてはいけないって、まあ確かに余計なことを言うと揚げ足とられたりしますからね。
なんか暦のこと以外は普通のことですね。
平安貴族が陰陽道と縁起や迷信みたいなものにがちがちに縛られていたのは、本当のようです。
私は小さい頃明治生まれのおばあちゃんに育てられましたが、とにかくなんでも迷信でした。
胸に手をあてて寝てはいけない。怖い夢を見る。
寝るときはおまじないを唱える。「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」
しゃっくりがでたらおまじないをする。
雷が鳴ると電気を全部消して、仏壇にろうそくを灯してその前に寝転がり静かにする。
笑われるかもしれませんが、うちではこれ本当にやっていたんですよ。
もうね、いろんなのありましたよ。
おそらく平安貴族はもっといろんなものに縛られて生きていたんでしょうね。
ただ、こういうおまじないとか迷信とか、なんか伝えていかなくちゃって思うんです。
これも日本の古き良き伝統なんです。
昔話や土地土地の伝承と一緒に、おばあちゃんの迷信も子孫に残していきたいもののひとつだと思うのです。
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