古代史

無実の汚名を晴らしていただける、天神様

菅原道真とは

 

言わずと知れた天神様ですが、菅原道真に何がおこったのか。

もう一度おさらいしてみます。

Wikiより

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) – 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。

小倉百人一首では菅家。

菅原道真は右大臣であった時に、左大臣藤原時平に陥れられます。

道真が醍醐天皇を失脚させて、天皇の弟君である道真の義理の息子にあたる斉世親王を天皇にしようとしているのだと、藤原時平が醍醐天皇にささやくのです。

それで道真は太宰府に左遷されてしまいます。

その大宰府で2年後道真は失意のうちに亡くなってしまいます。

 

都に恐ろしいことが・・・

それから道真の祟りが都に降りかかりました。

まず藤原の時平は39歳の若さで急死します。

この時に病にかかった時平を僧侶に加持祈祷をさせようとした文書博士三善清行の前に、

道真が龍となって現れたと言われています。

そして疫病や干ばつなどが立て続けに起きています。

道真の後任として右近衛大将に就任した藤原定国も謎の死。

時平と共に道真を陥れた藤原菅根も雷に打たれて死亡。

道真に変わり従二位についた源光も狩りの途中に泥沼にはまって死亡。

しかも遺体はあがらなかつたそうです。

その他にも時平派の人たちが不可解な死を遂げています。

そしてついに延923年、醍醐天皇の皇太子、保明親王が21歳で死亡。

恐れおののいた醍醐天皇は、道真の霊を右大臣に復活させます。

ところがこれで収まりません。

次の皇太子である慶頼王がわずか5歳で死亡。

そして清涼殿落雷事件がおこります。

宮殿の中にある清涼殿に雷が落ち、清涼殿は焼け落ちてしまうのです。

さらに紫宸殿にも落ち、大納言・藤原清貫が雷に直撃され即死しています。

このショックから醍醐天皇は崩御されました。

こののち道真の乳母の夢枕に道真が現れ、北野におまつり頂ければ心も安らぎましょうと告げます。

そして北野天満宮に菅原道真はおまつりされ、天神様となりました。

道真公は大変頭が良かったのですね。

それで学問の神様となられたのです。

そして、無実の罪を着せられた人を守ってくれる神様でもあります。

私は今、やってもいないことをねつ造され、無実の罪を着せられて貶められています。

昨日、谷保天満宮に参拝いたしました。

http://www.yabotenmangu.or.jp/index.html

こちらの天神様は道真公の三男である道武公が、道真公を偲んでおまつりされたことがはじまりと言われる神社です。

境内につきお参りしようとしたときに、風がざわざわとおこり、木々が揺れ始めました。

たまたまいったのですが、

天神様にお参りすることは、何かのお導きであると、やはり思いますね。

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