古代史

早良親王・大伴家持、祟り事件

無実の罪を着せられた早良親王

平安京ができた裏に、実は世にも恐ろしい祟り事件があったのをご存知でしょうか。

桓武天皇は長岡京と平安京と二回都を移しています。

長岡京遷都からわずか10年後に平安京に遷都しているのです。

この理由はいったいなんだったのか。

それは祟りに恐れおののいた桓武天皇が、呪われた長岡京を捨てざるえなかったからなのです。

映画・陰陽師でも取り上げられた事件なので有名です。

 

784年、桓武天皇は長岡京の造営をはじめます。

そして不幸が起こります。

長岡京造営の総指揮をとっていた藤原種継が暗殺されてしまうのです。

犯人は東宮大夫であった大伴家持らとされ、家持が仕えていた早良親王が首謀者であると濡れ衣をかけられます。

桓武天皇から無実の罪を着せられた早良親王は絶食をし、餓死してしまいます。

その後数々の災厄が桓武天皇を襲いますが、陰陽師によると早良親王の祟りであると判明します。

これがもう恐ろしすぎる内容なのですよ。

786年   寵后の藤原旅子の母の藤原諸姉が死去
788年  寵后の藤原旅子が朝起きたら桓武天皇の隣で死去
790年   桓武天皇の母の高野新笠が宮中で倒れて死去
790年   皇后の藤原乙牟漏が朝起きたら桓武天皇の隣で死去
790年  皇太子の安殿親王が両耳が聞こえなくなってしまう
790年  天然痘が流行る
790年   長岡京で大洪水その後日照りが続く
790年  坂上又子が朝起きたら桓武天皇の隣で死去
794年  平安京遷都
797年  仮宮殿が火事
798年  清涼殿の門に雷が落ちて焼け落ちる。
799年  朱雀門完成の翌日に雷が落ちて焼け落ちる。
800年  「崇道天皇」の諡号を早良親王に贈る
801年  桓武天皇脳梗塞により言葉が不自由になる
802年  皇太子安殿親王、両足が麻痺して歩けなくなる。
805年  早良親王への謝罪の詔が発せられる。
806年  桓武天皇崩御
807年  即位して平城天皇になった安殿親王、片耳が聞こえて歩けるようになる

ひえ~、怖すぎでしょう。

なんで桓武天皇と一緒に寝ていたお后さまが、朝起きると次々死んでいるのか。

こんな恐ろしいことないって。

桓武天皇は相当恐れおののいていたそうですが、当たり前ですね。

桓武天皇が崩御されると、安殿親王が歩けるようになったというのだから、完全に障りがあったのでしょう。

この早良親王は崇道神社というところに祀られています。

大伴家持と万葉集

大伴家持と言えば、36歌仙の一人であり、小倉百人一首にもでてきますね。

中納言家持が、大伴家持です。

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける

この歌は早良親王の屋敷のことをうたっているのだと言われています。

実は藤原種継暗殺事件のときに、大伴家持は亡くなっていたのです。

ですがこの事件の犯人だとされましたので、埋葬することは許されませんでした。

無実の罪が明らかになり、やっと正式に埋葬されて官位も戻されます。

そして気になる万葉集のことです。

万葉集は大伴家持が編者です。

無実の罪で死後に財産を没収された家持ですが、家持の持っていた万葉集はそのときに朝廷の保管庫に入れられます。

そして20年後官位が戻されたときに、この万葉集も晴れて世に出ることになりました。

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